大判例

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岡山地方裁判所 昭和52年(ワ)232号 判決 1982年10月04日

原告

白川由起子

原告

白川一三

右両名訴訟代理人

井上健三

達野克己

被告

三崎重雄

右訴訟代理人

関康雄

豊田秀男

嘉松喜佐夫

被告

医療法人財団大樹会

右代表者理事

松浦俊子

被告

藤原憲和

被告

伊槻敏信

右被告三名訴訟代理人

佐藤進

主文

一、被告三崎重雄は、原告白川由起子および原告白川一三に対し、各金七五七、〇〇〇円ならびに各内金六八七、〇〇〇円に対する昭和五二年四月二四日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告の被告三崎重雄に対するその余の請求、および被告医療法人財団大樹会、被告藤原憲和、同伊槻敏信に対する各請求を、いずれも棄却する。

三、訴訟費用は、原告らに生じた費用の四分の一と被告三崎重雄に生じた費用を合算し、その一〇分の一を被告三崎重雄の負担とし、その余を原告らの負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告医療法人大樹会、被告藤原憲和、被告伊槻敏信に生じた費用を原告らの負担とする。

四、この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告ら

1、被告らは、連帯して、原告白川由起子に対し金二二、九四二、八六七円、原告白川一三に対し金二二、七三七、六六七円、および右各金員に対する、被告三崎重雄については昭和五二年四月二四日より、その余の被告らについては同年同月二三日より、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告らの負担とする。

3、仮執行の宣言。

二、被告ら

1、原告らの請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、主張

一、原告らの請求原因

〈中略〉

3、被告らの責任

(一)  被告三崎は、加害車両を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任があるところ、亡裕之は、本件交通事故による左腎臓破裂の傷害を受け、この物理的ショックないしその後の治療における放射線、化学物質の投与により左腎臓ウイルムス腫瘍の原発層形成が発症したか、或いは既に潜在していた右原発層の挫滅ないし拡散により右腫瘍の急激な発育、転移が促進されたものと推認され、後記被告医師らの診療過誤の共同不法行為と相いまつて、死亡の帰結をみたもので、被告三崎は、亡裕之の死亡に至る全損害について賠償する責任がある。

(二)  被告医師らは、次のとおり、亡裕之に対する診療上の注意義務違反の過失があるので、不法行為に基づく損害賠償責任があり、これら被告三崎の不法行為と共同不法行為にあたるので、その全損害について賠償責任を負う。

(1) 被告医師らは、亡裕之の左腎臓破裂の傷害に対し、開腹のうえ縫合止血ないし切除等の抜本的治療をなすべきであつたのに、これを怠つた。

(2) 仮に開腹しないとすれば、被告医師らは、その症状の経過を注意深く観察し、その過程で適切な治療を施すべき注意義務があり、少くとも昭和四九年九月二九日には亡裕之が再入院し、左腎臓出血、同腫瘤形成の診断がなされたのであるから、小児の腹部腫瘤にはまずウイルムス腫瘍を疑うべきであり、少くとも同年一〇月下旬以降の腫瘤の継続的触知後はその疑いを持つべきであつた。そして、ウイルムス腫瘍が疑われる以上、肝炎治癒期をまつことなく、遅くとも一一月中には確定診断を得て、早期の治療的手術を施行すべきであつた。何故なら、ウイルムス腫瘍は悪性であり、その発育は速かで、右手術の手遅れは致命的だからである。肝炎治癒期をまつとの被告らの主張は、全くの弁解にすぎない。しかるに被告らは、慢然とこれを看過し、ウイルムス腫瘍の疑いをもたないまま、これに対する確定診断および治療をなさず、放置したものである。

(3) 仮に被告医師らがウイルムス腫瘍の疑いをもつていたのであれば、そのことを原告らに説明し、助言指導をすべきところ、これを行なわず、原告らの有する治療上の自己決定権行使を不能にした。

(三)  被告病院は、被告医師らの使用者であり、被告医師らの診療業務の過程における前記過失による不法行為については、民法七一五条による使用者責任がある。

(四)  原告らは、被告病院ないし被告医師らとの間に、亡裕之の治療について、昭和四九年七月三日及び同年九月二九日に、それぞれ診療契約を締結したが、被告らは、前記(二)、(1)ないし(3)のとおり債務の本旨に従つた診療をなさなかつたので、右債務不履行による原告らの損害について賠償する義務がある。〈以下、事実省略〉

理由

一本件交通事故の発生

1  原告らと被告三崎との間においては、昭和四九年七月三日午後七時一〇分頃、香川県綾歌郡宇多津町坂下二、三八四の一先道路上において、亡裕之が右道路を横断中南進してきた被告三崎の運転する加害車に衝突されたことについては争いがなく、原告らと被告医師ら、被告病院との間においては、その頃亡裕之が左腎臓破裂、左大腿骨々折、左足裂傷の傷害を受けたことについては争いがない。

右争いのない事実と〈証拠〉によれば、全被告との間において請求原因1の事実を認めることができる。右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、〈証拠〉によれば、被告三崎は、加害車両を所有し自己のため運行の用に供していたが、右事故当時、国道一一号線から左折して事故発生地の道路を毎時四、五〇キロメートルの速度で南進中、事故発生地点の約三〇メートル手前で道路右側の空地から亡裕之(当時五才)が右側歩道上に走つてきて一旦立止つたことを認めたものの、そのまま進行したところ、亡裕之が小走りで道路を横断しはじめ、あわてて急制動の措置をとり、ハンドルを左転把したが間に合わず、亡裕之に自車右前部を衝突させたこと、右道路は、両側に巾一メートル位の歩道があり、上下二車線の巾員五メートル位の舗装された車道で、事故発生地点の手前八〇メートル位から見通しがよく、亡裕之は、道路西側の空地において兄(八才)とキャッチボールをして遊んでいるうちに、ボールを追つて道路を横断した際に本件事故に遭つたものであることが認められる。

右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  右1、2の認定事実によれば、被告三崎は、加害車の運行供用者として自賠法三条により右交通事故によつて生じた亡裕之の損害について賠償義務を負うことは明らかである。被告三崎は、自己に過失がなかつたとして自賠法三条但書による免責を主張するが、右認定事実によれば、被告三崎は本件事故発生地点の約三〇メートル手前で道路右側空地より走り出て歩道上に一旦立ち止つた幼児である亡裕之を発見しているのであるから、同児の動静を注視すべくただちに減速ないし停止し、その動静確認をまつてはじめて進行すべき注意義務があるというべきところ、これを怠り、毎時四、五〇キロメートルの速度のまま進行を継続し、小走りで横断を開始した亡裕之を発見して回避の措置をとつたものの間に合わなかつたというのであるから、その過失は明らかで、免責の主張は失当というほかない。しかしながら、亡裕之も、幼児とはいえ、進行してくる加害車両を容易に発見しうるのに、車道の際で一旦立ちどまりながら左方確認をなさず、ボールを追うことに気をとられてそのまま車道横断をはじめているもので、その落度も明らかであり、被告三崎の損害賠償義務の範囲を定めるにあたつてはこの点についての過失相殺を考慮しなければならない。右認定の本件事故の態様に照せば、損害総額に対し、亡裕之において二割、被告三崎において八割の責任を負担するのが相当である。

したがつて、被告三崎は、本件交通事故と相当因果関係のある損害について、その八割の限度で損害賠償義務を負うものである。

二次に、亡裕之の右負傷についての治療経過を検討する。

1  原告らと被告三崎との間においては亡裕之が本件事故後被告医師らの治療を受けたことについては争いがなく、原告と被告医師ら、被告病院との間においては、亡裕之の本件交通事故による負傷について被告医師らが診察治療にあたり、左腎臓破裂、左大腿骨々折、左足裂傷の診断をなし、亡裕之は昭和四九年七月五日より回生病院整形外科で左大腿骨々折に対する治療を受け、同年九月一日に一旦退院してその後通院していたこと、同年九月二九日亡裕之が腹痛等を訴えて来院し、被告医師らの診察を受けて再入院したこと、その際亡裕之は血清肝炎の診断がなされ、当日左側腹部に腫瘤らしき抵抗が認められたこと、その後亡裕之は被告医師らによる治療を受けていたが、同年一〇月三一日から左腎臓の腫瘤が継続的に触知されていたこと、亡裕之は同年一一月二九日に被告医師らの許可を受けて退院し、その後通院治療を受けていたが、昭和五〇年一月一四日に国立病院に転院するため被告医師らの治療を打ち切つたこと、その後亡裕之は国立病院で開腹手術を受けたが、昭和五二年一二月二六日同病院で死亡したこと、以上の各事実について争いがない。

2  右争いのない事実と、〈証拠〉を総合すると、全被告との間において以下の事実を認めることができる。

(一) 亡裕之は、昭和四九年七月三日本件事故後ほどなく回生病院に搬入され、ただちに入院加療を受けるようになつたが、当夜の宿直医小川外科代理医長は、左腎臓破裂、左大腿骨々折、左足裂傷と診断し、応急措置を施療したうえ、腎破裂に対してはとりあえず保存療法をとることにし、全身状態の回復に努めた。翌朝、同病院の院長兼外科部長である被告藤原は、亡裕之を回診し、腎孟造影のX線写真、血圧表等を検討し、相当高度の腎外傷があるものの保存療法が可能であると判断し、引き続き外傷の処置と全身状態の回復に努めさせた。そして同月五日、亡裕之の状態が回復したため、同病院整形外科浜脇医師のもとで、左大腿骨々折に対する治療がはじめられ、鋼線索引法が執られた後、同月一二日骨接合の手術が施こされた。その後の亡裕之は、骨接合の状態も良好で、左足裂傷も治癒し、保存療法がとられた腎破裂も血尿が全くない状態に回復するなど、順調に経過し、同年九月一日には略治したものとして退院し、その後通院を続けながらも翌日から幼稚園に登園するなど、ほぼ通常の生活に戻つていた。

(二)  しかし亡裕之は、同年九月二八日に全身倦怠感を訴え、翌二九日には腹痛を起し、冷汗をかき、血尿を出すなどの状態におちいり、回生病院に再び入院して治療を受けるようになつた。同病院では、被告医師らおよび三木外科医員がその診察、治療にあたつたが、その診断では重症の血清肝炎および左腎外傷後遺症である肝腎症候群と判断され、亡裕之に絶体安静が指示され、これに対する治療が行われるようになつた。亡裕之の血清肝炎は、九月三〇日の肝機能検査値で、GOT五、〇三〇、GPT三、〇二〇に達し、高度に重症な劇症肝炎にあたり、高い比率で死に至る危険性もあると判断され、その状態が約二週間継続した。しかし、その後は急速に肝機能の回復がみられ、同年一〇月末には肝機能検査値がほぼ正常値を示すに至つた。一方亡裕之は、右入院当初、三木医師によつて腹部に腫瘤が触知され、その後右腫瘤は同年一〇月五日までには消失した。被告医師らは、右腫瘤は、重症の肝炎に伴つて脾臓に炎症が生じたいわゆる脾腫であるか、あるいは腎破裂に対し保存療法をとつたために生ずる腎ないしその周辺の腫瘤であると判断し、継続した顕微鏡的血尿とともにその経過を観察していた。

(三) ところが被告医師らは、同年一〇月二五、二六日に、亡裕之の腹部に再び腫瘤の触知を認め、同年一〇月三一日以後は継続的に腹部腫瘤が触知されるようになつたので、同年一一月九日にあらわれた肉眼的血尿とも合わせて、これを左腎の腫瘤であると診断し、排泄性腎孟撮影を行い、同年一一月一九日、当時回生病院の泌尿器科に来診していた腎臓専門医である小林啓躬医師にX線写真による検討を依頼した。小林医師は、亡裕之の診療経過については何も知らされてはおらず、X線写真のみを検討し、腎に発症する小児がんの一種であるウィルムス腫瘍が疑われる旨回答した。しかし被告医師らは、小林医師の所見にもかかわらず、腎孟撮影によるX線写真では、腎外傷とウィルムス腫瘍の形成とは判別することが殆んど不能であるうえ、ウィルムス腫瘍の発症率は極めて低く、亡裕之には既応症として腎外傷が存在することは明らかであるから、これに重ねてウィルムス腫瘍の発症の蓋然性は少いとみて、亡裕之の左腎の腫瘤は腎外傷後遺症による腫瘤であると診断し、あわせて鑑別診断の第一位としてウィルムス腫瘍の疑いをもつこととし、その確定診断を得るためには腎血管撮影の精密検査を経なければならないところ、右検査は腎外傷後遺症の出血点を知るためにも必要であるものの、亡裕之は肝機能検査値が正常化していたとはいえ、なお劇症肝炎の回復期にあり、右検査のために必要な全身麻酔、造影剤投与によつて肝不全死の危険もあることを考慮し、肝機能検査値が正常化した時期から二か月以上は期間をおいて右検査を試みるとの方針をとつた。

(四)  そこで被告医師らは、亡裕之には腎外症後遺症による腫瘤と肉眼的血尿があつた以上、左腎からの大出血をも予想し、この場合には肝炎回復期にもかかわらず救命のための左腎摘出手術を行うことも考慮しつつ、肝炎回復期の余後を安静を指示して経過観察した。しかしながら、亡裕之の両親である原告らが必ずしも重症血清肝炎や腎外症後遺症の余後についての危険性を自覚することができず、また幼児である亡裕之の安静の確保も困難なことから、被告医師らは、家庭における安静と定期の通院による経過観察を条件に退院を許可し、亡裕之は同年一一月二九日に退院した。亡裕之は、その後一週間に一度の割合で回生病院に通院し、被告医師らの診察を受けていたが、昭和五〇年一月三日腹痛が生じたため、年始休業中ではあつたものの同病院で被告伊槻医師の診察や血液、尿の検査などを受けた。被告医師らは、亡裕之の余後の経過はおおむね順調であると判断したものの、依然として血尿が続くところから、そろそろ肝炎治癒期に入るので、腎血管撮影の施行を検討しはじめたところ、同月一一日、原告らから亡裕之の就学のために病院内に養護学校を設置している国立病院へ転院したい旨の申出があり、同病院であれば医師および医療設備の面でも亡裕之に必要な精密検査やその後の治療にも不安がないところからこれを許可することにし、同病院に電話連絡で受け入れ方を要請するとともに、同月一四日原告らに国立病院に対する紹介状を交付した。右紹介状には、本件交通事故による外傷とこれに対する治療経過、その後の血清肝炎の経過および継続的血尿と腎摘除術を考慮した旨の記載があるものの、ウィルムス腫瘍の鑑別診断を確認する検査の必要性については具体的には記述がなされていなかつた。

(五) 亡裕之は、昭和五〇年一月一六日、国立病院に通院し、松村医師の診察を受けた。松村医師は、亡裕之について、紹介状と被告伊槻の電話連絡の内容から、腎外傷後遺症による継続的血尿のため病院内の養護学校に入学する患者の来院と理解し、入院に伴う一般的診察ならびに検査を行い、一旦帰宅させたところ、同夜、亡裕之が血尿と腹痛を訴えて再度来院したためそのまま入院させ、引き続き基礎的検査がなされたところ、腹部腫瘤について腫瘍の疑いがもたれ、同月二三日確定的な診断を得るため腎血管撮影を行い、亡裕之の腹部腫瘤はウィルムス腫瘍によるものであることを確知した。そのため同医師は、一般検査によつて把握していた胸部の異常についても腫瘍の転移を疑い、ただちに原発層である左腎および転移がみられる各臓器の摘出手術を決定し、原告らにもその旨告知し、同月二九日右手術を施行した。右手術の内容は、原発層である左腎摘出と、脾臓、膵臓、副腎、肺等に転移層が認められた部分を摘出するものであつた。その後、亡裕之に対しては、放射線照射、抗体接種等がんに対する各種の治療が試みられたが、昭和五二年一二月二六日、がんの全身転移による衰弱により、ついに死亡した。

3  〈証拠判断略〉

三原告らは、被告医師らの亡裕之に対する右治療の経過において医療過誤が存在する旨主張するので、この点について判断する。

1  原告らは、亡裕之の左腎臓破裂の傷害に対する治療として、被告医師らは、開腹のうえ縫合止血ないし切除等の措置を講ずべきであつたのに、これを怠つた旨主張する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、腎外傷に対する原則的治療法は保存的治療法によるべきであるとされていること、すなわち、腎外傷は、挫傷、裂傷、破裂、挫滅、腎茎部損傷に分類することができるが、腎に血液を送る動脈折損を伴う腎茎部損傷や大出血の継続により全身状態が悪化する腎挫滅などの場合には腎摘出術が必要になるものの、それ以外は腎を摘出せずに保存的に治療を加え、外傷の程度が大きい場合には腎膿瘍、血腫などの後遺症を残す場合があるものの、可能なかぎり腎摘出をなさず、また大出血がつづくものでないかぎり開腹止血の必要もないというのが一般的治療法とされていることが認められる。そうであれば、前示二の認定事実のとおり、被告医師らが、亡裕之の左腎破裂に対し、保存的に治療を加え、とりあえず血尿もない状態まで経過観察したことについては、何ら過失を認むべきところはない。

2  さらに原告らは、亡裕之の腹部腫瘤に対してはまずウィルムス腫瘍を疑うべきであり、同疾患の重大性からはすみやかに確定診断を得て、治療的手術をすべきであつた旨主張する。

(一) 〈証拠〉によれば、ウィルムス腫瘍とは、腎臓を原発層とする小児の悪性腫瘍で、多くは胎児期に腫瘍の萠芽的形成があるものと解され、幼児期に腹部腫瘤、血尿、腹痛などの自、他覚症状によつて発見されるが、その時期は腫瘍の発育の速度や部位、あるいは個体差などによりまちまちで、発見が遅れたり放置されれば腫瘍の転移により必ず死に至る重篤なもので、おおよそ三才未満で発見され腫瘍の摘出がなされ、放射線療法、化学療法など予後の治療が尽された場合には生存する可能性がまだあるものの、三才ないし五才時に発症し、発見された場合、腫瘍の摘出がなされてもその予後は極めて悪く、日本においては、コリンズのいう危期(胎児性の悪性腫瘍について、生後年令プラス九月の期間をもつて再発の危険期とする見解)をこえて生存した例がみられないこと、またその発症率は極めて低く、この症例を発見した医師は学会に事例を登録する制度がとられていても、年間に全国で数十例を発見するにすぎず、専門医であつても自らその治療を担当した経験としては二、三例にすぎない場合が多く、通常の医師はこれを経験しないのが殆んどというめずらしい症例であることが認められる。

(二) さらに〈証拠〉によれば、(イ)腎外傷後遺症の患者が重症の血清肝炎に罹患した際に、患者の腹部に腫瘤が触知され、これがまもなく消失するに至る場合、脾腫ないし腎外傷後遺症による腎およびその周辺の腫瘤を疑うのが通常であり、その判別はただちにはこれをなし得ないが、いずれにせよその主疾患に対する治療を尽すことによりその経過を観察すべきものであること、(ロ)その後に再度腹部に腫瘤が触知されるようになり、これは腎の腫瘤であると判明した場合、腎孟撮影のX線写真が得られても、腎外傷後遺症とウィルムス腫瘍とは同様の映像を示し、これをX線写真のみによつて判別することは不可能であるが、腎外傷の既応症が明らかであれば、ウィルムス腫瘍の発生率が前示の如く低いことから、外傷の部位に重ねて腫瘍が発生していると想定することは確率論的に希有な場合に属するものであること、(ハ)右の判別のためには腎血管撮影によるべきであるが、そのためには全身麻酔と造影剤の投与が必要であり、これは患者の身体、特に肝機能に対し単開腹手術と同程度の侵襲を与えるものであること、(ニ)肝炎活動期における手術ないし手術と同程度の侵襲を伴う医療行為は、肝不全死の虞れがあることから、救命的措置以外禁忌すべきものとされているところ、肝炎治癒の判定には肝機能検査値が正常化した後少くとも二ないし三か月を経過した時期とみるのが一般的であること、以上の各事実が認められる。

(三) 右(一)、(二)の認定事実と前示治療経過とを照し合せて検討するに、被告医師らが、亡裕之の腹部腫瘤に対し、当初は脾腫または腎外傷後遺症による腎又はその周辺の腫瘤を疑い、その後の経過観察によつて再度腹部腫瘤が触知されて腎の腫瘤と判別した後には、腎外傷後遺症を主診断としつつ、あわせて鑑別診断の第一位としてウィルムス腫瘍を疑いつつ、その確定診断を得るに必要な精密検査の施行には肝炎治癒期をまつことにし、その経過観察をなしたとする各措置には、右診療時の医療水準において、格別の過誤を認めることができない。原告らは、ウィルムス腫瘍が疑われる以上、その疾患の重大性に照し、肝炎治癒期をまつことなく遅くとも昭和四九年一一月中に確定診断を得て治療的手術を施行すべきであつた旨主張するが、被告医師らが鑑別診断としてウィルムス腫瘍を疑つたとしているものの、その疑いの確率は低いものと想定されていたことが窺われ、このような診断のもとで、劇症肝炎の回復期にあえて手術的侵襲に相当する腎血管撮影を試みることを期待することは、結果論的には格別、なお相当ではないと言わなければならず、被告医師らの右診断もその時点においては適切でないということはできないのである。したがつて、この点についての原告らの主張も失当である。

3  また原告らは、被告医師らがウィルムス腫瘍の疑いをもつたのであれば、これについて亡裕之の親権者である原告らに説明し、原告らの治療上の自己決定権を尊重すべきところ、これをなさず、原告らの選択を不能にした旨主張する。

(一) 思うに、医師が、自己の診察した患者またはその保護者に対し、診断および治療行為の内容、または疾病の予後の見通しなどについて説明をなす義務を負うのは、医的侵襲を伴う治療行為に対する承諾の前提として要求される場合と、悪しき結果を回避させる義務として要求される場合とがある。原告らは、その後者の意味において、被告医師らが亡裕之につきウィルムス腫瘍の疑いをもつたのであれば、その旨説明すべき義務があるというのであるが、一般には、医師が患者の治療を継続している場合、主たる診断と合わせて鑑別すべき診断をもつときには、患者の状態に応じた経過観察と必要な検診を通じ適時に確定診断を得ていくことが期待できるのであるから、患者ないし保護者に対し、治療のうえで有益でない鑑別すべき診断をも遂一説明する必要まではなく、確定診断に基づいてその病状とこれに対する治療方法を説明し、これに協力を求めるものであつてよい。したがつて、被告医師らが亡裕之の治療を継続している場合には、亡裕之に対し鑑別診断の第一位としてウィルムス腫瘍が疑われるとしても、原告らにそのことを説明せず、医師の治療における裁量の範囲として治療上有益な事項の説明のみをなして治療を継続していくことは一概に不合理とは言えず、医師の結果回避義務を怠つているということはできない。しかしながら、患者が転医する際には、これまでの診療経過を前提とした適時の検診、治療の継続が必ず期待できるとは限らないのであるから、主たる診断のほかに今後鑑別すべき診断がある場合、特に鑑別すべき診断が重大疾病であるときには、患者ないし保護者、および転医先の医師にその旨を説明することが医師の結果回避義務の一内容になるというべきである。すなわち、被告医師らが亡裕之の治療を継続している間はともかく、原告らから転医の希望が出された段階においては、ウイルムス腫瘍の疑いもあり、必要な精密検査を施行しなければならない旨説明すべき義務があつたというべきである。

(二)  そして被告医師らは、右義務を履行しなかつた。被告医師らが原告らにそのことを説明しなかつたことは自認するところであるうえ、前示二、2、(四)、(五)の認定事実のとおり、転医先の国立病院松村医師に対してもこのことを説明ないし告知しなかつた。被告伊槻敏信本人尋問の結果中の、電話連絡により松村医師にその事を伝えたとする供述が措信しえないことは前示のとおりであり、紹介状の腎摘出を考慮した旨の記載も、腎外傷後遺症による出血に対する治療法としての意義以上に判読することは困難であるから、転医先に対しては右説明義務を尽したとの被告らの主張は採り得ない。

(三) しかしながら、被告医師らの右義務も、悪しき結果を回避すべき義務の一内容である以上は、その不履行によつて悪しき結果が招来したことによつてその責任が生じるものというべきである。

ところで前示二および三、2の認定事実によれば、亡裕之は、肝炎治癒期にようやくさしかかつたとみられる昭和五〇年一月初旬頃、被告医師らにおいて腎血管撮影の施行を検討しはじめた時期に、転院の希望を申出て、同月一四日に回生病院の治療を打切り、翌々日の一六日に国立病院で診断を受けて入院するや、同病院の医師は、腫瘍の疑いもいだき、既に肝機能障害の問題も解決していたため同月二三日に腎血管撮影を行い、ウイルムス腫瘍の確定診断を得て同月二九日にはその摘出手術を行つているものである。そうであれば、亡裕之の肝機能検査値が正常化したのが昭和四九年一〇月末であり、その後二ないし三月の肝炎治癒期を考慮すれば、被告医師らが自ら治療を継続するか、あるいは転医に際し原告らおよび転医先の医師に対しウイルムス腫瘍の疑いを説明した場合に執られる治療と殆んど相違ない措置がその時期に尽されているもので、被告医師らの右説明義務の不履行によつて亡裕之に悪しき結果が生じているということはできないのである。

(四) なお、原告らの主張は、医師の説明義務は患者の有する自己決定権を保障する前提をなすものであるから、その不履行によつて実害が生じない場合にもこの自己決定権を侵害し、精神的損害を与えるとの趣旨にも解しうるが、患者の自己決定権というものも、治療に対する承諾、不承諾の選択、および悪しき結果を回避するための必要な情報の説明を受け、これによつて行う患者の治療方法の選択の意義以上に、医師の専門性に基づく判断の裁量性を越えて患者の決定権が尊重されるべきものとは解されず、その意味において、前示のとおり一般には鑑別すべき診断を説明する義務はなく、ただ転医に際しての説明が心要となるにすぎない。そして本件の場合、転医に際し、その説明がなされなかつたことにより原告らの自己決定権がどのように侵害されたかについては具体的な主張がなく、当裁判所の判断の限りではない。

4  以上のとおりであるから、被告医師らに亡裕之の治療において医療過誤が存在したとする不法行為の主張は、いずれも採用できない。したがつて、被告病院の使用者責任の主張も、被告医師らの不法行為が認められないのであるから、その使用者関係につき判断するまでもなく失当である。よつて、本件事故の加害者である被告三崎と被告医師らおよび被告病院との共同不法行為の成立については論ずるまでもない。また、原告の被告病院ないし被告医師らとの診療契約に基づく債務不履行責任についての主張も、債務の本旨に従がわない診療により損害が生じているとは認められず、その余の点を判断するまでもなく失当である。

四そこで、被告三崎の加害行為による損害の範囲について検討する。

1  前示一、1のとおり、亡裕之が本件交通事故により左腎臓破裂、左大腿骨々折、左足裂傷の傷害を受け、これに対する治療によつて生じた損害が右事故と相当因果関係があることは言うまでもない。さらに前示二の治療経過から窺われるとおり、亡裕之の左腎破裂に対し保存療法を採用したことによつて予期される腎外傷後遺症および外傷の治療に伴う輸血によつて予期される血清肝炎の発症については、本件事故と相当因果関係があるものとみることができ、この治療に要する損害についても被告三崎は責任がある。しかしながら、亡裕之のウイルムス腫瘍の発症ないしこれによる死亡と本件事故との間には相当因果関係があるものとは認められない。すなわち、原告らは、亡裕之に対する本件事故による腎破裂の物理的ショックないしその後の治療における放射線、化学物質の投与により、腫瘍の形成が発症したか、或いは既に潜在していた腫瘍原発、層が挫滅ないし拡散し、その急激な発育、転移が促進されたと主張するが、これを認むべき証拠はなく、そのように推認すべき経験則もないからである。

2  よつて、亡裕之が本件事故によつて生じた損害については、前示傷害とその後の腎外傷後遺症および血清肝炎の治療が行なわれた回生病院における治療に要した範囲においてこれを認むべきである。これを基礎として、原告らの損害についての主張を検討する。

(一)  請求原因4、(一)の医療費は、ウィルムス腫瘍の治療にあたつた国立病院における治療費を主張するもので、本件事故とは相当因果関係がない。

(二)  同(二)の亡裕之の入通院における付添看護の費用については、亡裕之が幼児であつたことから付添の必要性については容易に認めうるところであるが、これについても回生病院における治療に要した範囲で相当因果関係を認むべきところ、〈中略〉合計二五六、〇〇〇円の損害の発生を認めることができる。

(三)  同(三)の入院雑費についても前示のとおり回生病院における一二三日間の分についてこれを認むべきところ、弁論の全趣旨により一日宛五〇〇円の出捐があつたことは明らかであるから、合計六一、五〇〇円の損害を認めるのが相当である。

(四)  同(四)の原告由紀子の休業損害は、ウイルムス腫瘍の治療にあたつた国立病院での入院期間中のものを主張するものであるから、本件事故とは相当因果関係がない。

(五)  同(五)にいう葬祭料、同(七)にいう逸失利益の主張は、ウイルムス腫瘍による亡裕之の死亡が本件事故と相当因果関係あることを前提とするものであるから、その前提事実が認められない以上失当である。

(六) 同(六)の本件事故による亡裕之の慰藉料についても前示の傷害とこれに対する回生病院における治療に要した期間の精神的苦痛をその算定の基礎とすべきであり、前示一、1および二の各事実によれば、亡裕之に対する慰藉料は一、四〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認められる。

3 以上のとおり、亡裕之に生じた損害の合計は一、七一七、五〇〇円と認められるところ、前示一、2、3のとおり、被告三崎が賠償責任を負担するのはその八割に相当する一、三七四、〇〇〇円である。よつて原告らは、亡裕之の死亡によりその二分の一である各六八七、〇〇〇円宛の損害賠償請求権を相続により取得したものであるが、これを訴求するための弁護士費用として被告に負担させるべき金額はそれぞれ七〇、〇〇〇円とみることが相当である。〈以下、省略〉

(大内捷司)

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